報告

当方、現在高等学校に通う身分であります。

そして無事に進学が決まりましたことを報告いたします。

結果が出るまで内にある靄のようなものに脅かされ一時はどうなることかと思いましたが、今は安定して胃痛も頭痛もなく、普段通りに過ごすことが出来ています。

受験という人生の節目、分かれ道を超えた今現在、僕は更にもう一段階成長できたと実感しています。

そしてこれからの大学生活に胸を踊らせ一層精進せねばならないと思いました。

日曜

日曜日は休日で、静けさがただ広がる夜が訪れますね。

ましてや秋にもなると、寒さで人がたちまち居なくなります。

必然的に閑静になります。

だから僕は秋と冬が好きです。

そんな夜に1人部屋で、お菓子を傍らに置き、好きなものについて調べ、作曲をし、何かを形作るこの夜がとても幸せで、他の人たちには味わえない幸せなのだと噛み締めております。

朝が来ると人は無意識に起きる。

そして意識を持って立つ。

そして思考が戻りつつある中朝食をとり、身支度をする。

朝は人を動かす。

人は朝を動かせない。

揺らぎようのない摂理。

人は人を動かす。

しかし朝のような絶対的な存在、揺るぎのない存在にはならない。

それも摂理。

自然が雄大と言われる所以はこれではないかと考えた。

しかし人の中にも揺るぎのない人がいる。

夢を追う、叶える、そして何かを創造する人々。

そんな人たちが真の朝、すなわち日を登らせる人たち。

最近、全ての人や物、感覚が漠然としてくることがあります。自分の存在すら忘れてしまうような瞬間があり、大変困っています。

私自身は別段変わったことなどないのにいつしか身体は疲弊していたようで、自分の心体に不満を感じます。

それと共に自分に対しての興味も他人に対しての興味もなくなった末にどんな感情が待ち受けるのか、少しドキドキしているんですけどね。

結局人は本能と好奇心に生かされているのですかね。明日も未来も結局は自分の中のものですし。

何かに生かされているのではなくて、単に自分で勝手に生きているのかもしれない。

死というのは悪だと世間では思われている。

健全であるのに悪だと言われる存在が"死"なのだ。

僕は死が悪だとは思わない。

自殺も然り。

生きるものに死を選ぶ権利はある。

そして死にも人を選ぶ権利がある。

死に選ばれた者のみが死ぬことを許される。

僕はいつになったら死に選ばれるのだろうか。いつも思っている。

生きたくなくても人生が私を生かし、明日が私を呼ぶ。

死はいつになっても私を呼ぶことがない。

精神、心

人には体の他に精神と心があるらしいですね。

"在る"というよりは"創られている"の方が正しいのかもしれない。

瞬間的に移り変わるそれは実際には目に見えない。

しかしながらそれが起こす影響は多大で人を簡単に死に至らしめるのだ。

私は精神と心なんてものは不確かで馬鹿らしいといつまでも思っている。

しかしそれは確かに私の中で躍動し、密かに私を蝕んでいるのだ。

私が死にたいと思わなくても、それは密かに私を侵し、死に魅了されるような人間に仕立てあげているのだ。

だから私は信じたくないのだ、私自身が私以外に操られているこの現状を。

私は私のはずなのに、私の中には目に見えない怪物が存在しているのだから。

私はいつまでこの内なる怪物に喰われ続けるのだろうか。

衝動的

衝動的にビッグマフを踏み込み、フロントピックアップのシンラインをかき鳴らす。そこにショートディレイとリバーブを深くかけ、轟音の後の残響に身を任せ、悠々とステージを歩く。

自分が世界の中心になった気分になるのだ。

特別なことなどはないが、それだけで、その音を鳴らすことで自身を証明する。

周りのオーディエンスなどは関係ない、自分がよければそれだけで世界は祝福してくれる。

他者への思いやり、他者への関心、他者への影響などを考えている暇などあるなら、今に向かって自身を証明するのだ。そうすれば今は応える。未来はそれを見ている。明日が私たちを生かす。