日曜
日曜日は休日で、静けさがただ広がる夜が訪れますね。
ましてや秋にもなると、寒さで人がたちまち居なくなります。
必然的に閑静になります。
だから僕は秋と冬が好きです。
そんな夜に1人部屋で、お菓子を傍らに置き、好きなものについて調べ、作曲をし、何かを形作るこの夜がとても幸せで、他の人たちには味わえない幸せなのだと噛み締めております。
朝
朝が来ると人は無意識に起きる。
そして意識を持って立つ。
そして思考が戻りつつある中朝食をとり、身支度をする。
朝は人を動かす。
人は朝を動かせない。
揺らぎようのない摂理。
人は人を動かす。
しかし朝のような絶対的な存在、揺るぎのない存在にはならない。
それも摂理。
自然が雄大と言われる所以はこれではないかと考えた。
しかし人の中にも揺るぎのない人がいる。
夢を追う、叶える、そして何かを創造する人々。
そんな人たちが真の朝、すなわち日を登らせる人たち。
死
死というのは悪だと世間では思われている。
健全であるのに悪だと言われる存在が"死"なのだ。
僕は死が悪だとは思わない。
自殺も然り。
生きるものに死を選ぶ権利はある。
そして死にも人を選ぶ権利がある。
死に選ばれた者のみが死ぬことを許される。
僕はいつになったら死に選ばれるのだろうか。いつも思っている。
生きたくなくても人生が私を生かし、明日が私を呼ぶ。
死はいつになっても私を呼ぶことがない。
精神、心
人には体の他に精神と心があるらしいですね。
"在る"というよりは"創られている"の方が正しいのかもしれない。
瞬間的に移り変わるそれは実際には目に見えない。
しかしながらそれが起こす影響は多大で人を簡単に死に至らしめるのだ。
私は精神と心なんてものは不確かで馬鹿らしいといつまでも思っている。
しかしそれは確かに私の中で躍動し、密かに私を蝕んでいるのだ。
私が死にたいと思わなくても、それは密かに私を侵し、死に魅了されるような人間に仕立てあげているのだ。
だから私は信じたくないのだ、私自身が私以外に操られているこの現状を。
私は私のはずなのに、私の中には目に見えない怪物が存在しているのだから。
私はいつまでこの内なる怪物に喰われ続けるのだろうか。